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{ 近藤次郎先生を偲ぶ }

コーヒーカップ

平成28年07月

シャープは、台湾の鴻海の傘下で再建をめざすことになった。半世紀前、シャープの発展を支えてきた伝説の技術者、佐々木正氏(元副社長)は、御年101歳で、今もご健在である。大西康之氏による文芸春秋6月号のインタビュー記事と「ロケット・ササキ」の著書は、これからの日本の技術のあり方を考える上での教訓となる。

佐々木氏は、生後すぐ両親に連れられて台湾にわたり、京都大学電気工学科に進学するまで、台湾で過ごす。

佐々木氏の技術に関する信条は、人間一人でできることは高が知れている。技術の世界はみんなで創る「共創」が原点である。それは、台湾の高校で、リンゴとマンゴーの接ぎ木で、「リンゴ・マンゴー」を創った。すなわち、性質の異なるものを組み合わせることで新しい価値を生み出した、体験に遡る。

京都大学では真空管を研究し、川西機械製作所に入社。戦時中はレーダー、殺人電波の開発に従事する。戦後、CCSの指示で、再び真空管の研究に携わる。ベル研に派遣され、ショックレー等の半導体発明を知り、川西製作所で半導体を始める。川西製作所は、神戸工業と改称され、ここでは、江崎玲於奈氏、赤崎勇氏等の日本の半導体技術の基礎を築く研究者が育つ。

48歳の時、京都大学の教授に就任する予定になっていたが、早川徳次氏の勧めと、「技術で世の中を変えたい」という思いから早川電機(後のシャープ)に入社した。早川電機では、それまでの豊富な見識と人脈からドクターと呼ばれ、数々の新製品開発に携わってきた。中でも、カシオとの電卓開発競争は有名である。その中で、共創の精神で開発した技術が、ロックウェルとの共同開発によるMOS-IC、RCAからの技術導入で、ものにならないと言われた液晶ディスプレーの開発である。液晶の製造上、釜のフタを閉め忘れるという失敗経験からの大発見が、その後のシャープの液晶技術発展の幹となった。

このような経歴から、二人の若者が佐々木氏を師と仰いできた。一人はソフトバンクの孫氏で、発明した電子翻訳機を売り込みに来たが、それを支援した技術が後のザウルスになっている。また、会社設立に当たっての融資の支援も行い、孫氏は佐々木氏を恩人と感謝している。もう一人は、アップルのスティーブ・ジョブズで、佐々木氏のもとに「パソコンの次は何だろう、音楽と考えている」と、相談に来ている。

日本はアメリカから半導体を教わった。半導体で日本に追いつかれたアメリカには、ITでアップル、グーグル等が生まれた。わからなければ教わる、請われれば教える、人類はそうやって進歩してきた。かっての日本企業は前例のないことに挑戦し、ゼロからイチを生みだしてきた。そして、競争して、一旦、標準が決まったら、素材、部品、装置メーカーとみんなで「共創」し、発展してきた。

文芸春秋のタイトルは、「シャープ伝説の技術者」の遺言とある。日本の技術者は、佐々木氏の教えを真摯に受け止め、これからのものづくりに邁進していただきたい。(杉山哲朗)

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